O.H. 君の体験談

平成10年3月 佐賀市立成章中学校卒業
平成10年4月 私立福岡第一高校入学
平成10年5月 同上退学。即、修学舎入寮
平成11年4月 私立大濠高校入学(3年間修学舎から通学)
平成14年4月 早稲田大商学部入学
平成18年3月 同上卒業
平成22年11月 公認会計士資格取得

中1の末から遅刻欠席が始まり、中3では不登校が当たり前だった。 昼間は同類の仲間たちと寝て過ごし、夜間に行動する生活ぶりでは、地元で行ける高校など無かった。 いったんは辻料理学校の入学手続きをしたが、その後、面接と作文だけの入試で福岡第一高校に入学した。 とは言え、心身共に高校生活は無理で、素行不良のため佐賀の両親が毎週学校へ呼び出された。 5月初旬クラスの1/3程度の生徒が消え、5月中旬には自分も退学した。 その頃、単位制通信制高校の話を聞いた。 入試も校則も無く卒業が楽とのこと。甘い考えで、 次はそこへ行こうと考えた。 しかし、自分にとって「楽、暇、自由」がどれ程怖いかを両親に必死に説得され 「とにかく1ヶ月だけ」と、言われて修学舎に入寮させられた。 そんな入寮の仕方でも、 2年以上勉強に背を向けていた自分が8月末には勉強が楽しいものになった。 すっかり修学舎に居ついて、 高校は修学舎から通いたいと思うようになった。
大濠高校では、 成績上位者に対する授業料一部返還を各学年末に受給し、高3の全国模試で早稲田大にA判定が付いた。高校の3年間、空手を週2日、ピアノを週1日と習い事も続けた。
大学1年の夏、1ヶ月間、修学舎に泊り込みで後輩の指導をした。 楽しそうに教える大学生に憧れて、自分をその立場に置き、 改めて修学舎の凄さを確信した。スタッフが役者揃いで、その指導力、チーム力なら私を救えたのは当然だと思った。
実は平成10年2月両親は修学舎に私のことを相談していた。 まもなく 2~3度、 私の家を訪れたのが当時佐賀西高3年の加藤先輩 (H6中浪、のち北九州大)と同じく2年の福島先輩(H7中浪、のち福岡大)だった。又、親への情報提供が長崎大の稲田先輩(H5中浪)だった。そんな先輩の心遣い(2~3月)が私の入寮(5月)に繋がったと思う。

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