ゆとり教育について (その二、続)

福岡県内の公立高入試の折、各中学が提出する調査書には、各中学の3年生全員の全教科の評定が、規定の比率で5段階に振り分けて記入されてきた。 その評定の根拠となる定期考査などの全生徒の成績一覧表が、平成6年位までは高校へ提出されていた。 その高校の受験が例えたった1名でも。 しかし以後、不要になったようだ。

その頃から、学科の評定に定期考査などの成績以外の要素(例えば態度)が加味されるのは、生徒たちもよく知っているような「当たりまえ」になってしまった。

そのことから生じる問題点がかなりある。

1)通知表の評定では、真の実力が分かりにくい為、業者テストで、はっきりさせる必要がある。 偏差値に頼らざるを得ない。

2)普段の態度や、教師との人間関係(教師に対して良い顔をすることも含めて)のため、生徒が、学校にいる長時間気を遣い、ストレスになるおそれがある。

3)親の代まで遡らずとも、少し前まで、通知表とは威厳のあるもので、この評価を上げようと学力をつけることはやりがいであった。しかし、学力を伸ばすだけでもたいへんなのに、他の要素もあり、学力の評価がぼけてくると生徒の学習意欲は損なわれてしまう。

※昔の通知表に比べ、今のものはより当てにならない、重みのないものになったようだ。

平成6年の夏に高校再受験(中学浪人)のため九州南部の県から入寮してきたS君。 4月に入学した底辺校は、授業レベルもモラルも低く、いじめや中退が多いのに失望して、しっかり勉強して、よりレベルの高い高校を目差していた。 成果が表れたフクトテストを持って出身中学に報告に行くと、対応した先生曰く、「私は偏差値なんて大嫌いです。」「通知表のない学校が理想です。」 この先生はフクトテストの偏差値に見向きもせず、「受けたいと思う学校なら、どこの調査書でも記入します。」との返事だった。 この先生が日教組の活動に熱心で、その他の話しぶりでもイデオロギーに偏った方であるのはわかった。 こんな先生は滅多にいない。 ただ、日教組がこれまでに勤務評定反対ストや主任制反対ストを行ってきており、事実、公立学校ほど職場として平等主義が行きわたっている所も珍しいが、平等主義の先生には、通知表に学力の差を明記するのは、辛いことだろう。

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